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11月5日は津波防災の日だって、知っていましたか?気になりますよね?(ドスコイさんリスペクト)
どうして11月5日?
これは今から170年前である1854年11月5日(旧暦:新暦では12月24日)に発生した安政南海地震に由来します。今の和歌山県広川町が舞台です。
大きな地震が発生したのち、地元の有力者だった濱口梧陵(はまぐち・ごりょう)が迅速な避難をリードして、村人の人的被害を最小限にしたことが由来となっています。
彼は地震発生後、津波から村人を助けようと必死でした。そのために彼が行ったのは稲むら(刈り取りが終わった稲わらを田んぼに積んでいたもの)に火をつけたこと。当時はもちろん電気や街灯などない時代に、暗がりのなか村人が避難できるように火を放ったのです。このとっさの判断で救われた村人も多かったそうです。そして、そのエピソードを基にして、ラフカディオ・ハーンが小説「A Living God(生ける神)」を執筆し、欧米でも有名になりました。実際1903年に梧陵の息子がイギリスに留学していた時、あの『生ける神』の主人公の実子とわかった時に講演会で大喝采を浴びたというエピソードも残っています。
2011年、東日本大震災を教訓とした「津波対策の推進に関する法律(2011年6月)」により、11月5日が「津波防災の日」として制定されました。その後、日本などの働きかけによって2015年に国連が11月5日を「世界津波の日」として制定されました。
震災復興のモデルケース
この梧陵の素晴らしいところは、震災後の動きにもあります。
ヤマサ醤油の当主でもあった梧陵は、震災復興に力を注ぎます。巨大な広村堤防を建造します。農業が壊滅的なダメージを受けた中で、このような事業によって多くの農民の生活が守られました。(1946年の昭和南海地震で4メートルの津波が来た時にも堤防は持ちこたえたとのこと)
彼はその後、明治新政府でも活躍しましたが明治18年、欧州渡航中のニューヨークで66歳の生涯を閉じました。
※TBSドラマの「JIN 仁」でもペニシリンを供給する役で登場し、石丸謙二郎さんが演じていました。
現在の広川町
このようなエピソードが残る広川町は、現在でも「稲むらの火と笑顔のあるいきいきとしたまち」というキャッチコピーを挙げています。
そして広川町には濱口梧陵記念館と津波防災教育センターがあり梧陵の想いが今も息づいています。
これだけは覚えておこう!津波フラッグ
海なし県の長野県、特に北信住民にとっては、「信州の海である上越」で津波が発生するときに被害を受ける可能性があります。もちろんそれ以外でも地震が発生したら高台に逃げるというのは東日本大震災で得た教訓です。
ただ、海外の地震による津波などのように「地震の揺れが感じないが津波が起きるケース」もあり得ます。その時に役立つのが津波フラッグです。
写真は気象庁HPより。(公益財団法人 日本ライフセービング協会提供)
手元にスマホがない時など、このフラッグが目印になります。ここで読んだことは、いつか役立つかもしれません(役立たないのが一番ですけどね)